「ティーンエイジャーの映画を作るのが好きなんだ。「彼らの“ホルモンが狂った生活”には、忘れられない高揚感がある。彼らは1日に10回生きては死ぬような興味深い題材であり、私が世界について感じていることを体現している」とグレッグ・アラキは言う。そんな彼が10代の若者たちを描き、“ティーン・アポカリプス・トリロジー”とも呼ばれる3作品から『ドゥーム・ジェネレーション』と『ノーウェア』の2作品が今回、新たにデジタルリマスターされ劇場公開される(もう1作品は『トータリー・ファックト・アップ』(1994)) 。さらに今回のデジタルリマスター版は2作品とも、当時初公開時にはそのストレートな性表現によりレーティングの都合からカッ トされたシーンも含まれ、ディレクターズカットとして蘇った。

異性愛を常識とする当時の概念や、それを支えてきた映画のあり方に対抗した90年代のニュー・クィア・シネマというムーブメントを牽引し、インディカルチャーの旗手として知られるグレッグ・アラキの作品は、約30年前の作品であることを感じさせず、今の私たちにとっても新しく刺激的なものとして、感性を刺激する魅力とパワーを放っている。

今リマスター版は2023年のサンダンス映画祭で上映され、Indiewire誌は「今回の映画祭で見た中で最も大胆で素晴らしい映画は28年前に作られたグレッグ・アラキの作品だった。この作品はX世代の不安や焦燥感を描いた暴力的でエロティックな衝撃作だ」と絶賛した。

一貫してティーンエイジャーを主人公にして同性愛者のリアルライフを描いてきた彼が、プロデューサーから「異性愛映画を撮ったら制作予算をあげよう」という提案に対し、彼なりのパンクロックなやり方で、表向きは“異性愛映画”としつつも、“史上最もクィアな異性愛映画“を作りたかったと語る『ドゥーム・ジェネレーション』と、「3部作の中で間違いなく最も野心的な作品だ」と監督本人も語る、まるでジェットコースターのようなスピード感で若者たちの“終末の日”の一夜が描かれる『ノーウェア』が、デジタルリマスターによって色鮮やかに、そして刺激的に蘇る。

ロサンゼルス生まれ、サンタバーバラで育った日系三世。自身もゲイであることをオープンにしており、ティーンエイジャーや同性愛をテーマとした作品を多く制作し、90年代ニュー・クィア・シネマを牽引した監督のうちの1人。カリフォルニア大学サンタバーバラ校で映画を専攻したのち、南カリフォルニア大学映画芸術学部 映画・テレビ制作学科で芸術修士号を取得。これまでサンダンス映画祭をはじめ、カンヌ、ベルリン、ヴェネツィア、トロント等での名だたる映画祭で作品が上映され、『途方に暮れる3人の夜』(1987)でロカルノ映画祭で3つの賞を受賞、『カブーン!』(2010)では同年のカンヌ国際映画祭にてクィア・パルムを受賞するなど高く評価を受けている。その他『ブリザード 凍える秘密』(2014)、『ミステリアス・スキン 謎めいた肌』(2005)、『スプレンダー 恋する3ピース』(1999)、『トータリー・ファックト・アップ』(1994)、『リビング・エンド』(1992)など、高く評価されたインディペンデント映画を制作。

また、2015年にはアパレルブランドKENZOのコレクションオリジナルムービー「Here Now」を制作。彼のオリジナリティ溢れる作風はファッション界でも高く評価されている。

近年では、TVシリーズ『ナウ・アポカリプス 〜夢か現実か!? ユリシーズと世界の終わり』(2019)にて監督・脚本・製作を努める他、『13の理由』(2017-18)『ダーマー』(2022)などのNetflixドラマシリーズの数エピソードを監督。さらに、2024年にはオリヴィア・ワイルド主演、自身も監督のファンだと語るチャーリーXCX出演の新たな監督作を準備していることが発表された。

パンクでシュールでロマンチック
かつてなく刺激的な逃避行

ロサンゼルスのクラブでの狂乱の夜を終え、若いカップルジョーダン・ホワイト(ジェームズ・デュバル) とエイミー・ブルー(ローズ・マッゴーワン)が車で愛し合っていると、暴漢に襲われたハンサムで危険な 流れ者グザヴィエ・レッド(ジョナサン・シェック)がフロントガラスに飛び込んでくる。急いで車を出し 彼を助け出すが、グザヴィエは感謝の素振りがなく、エイミーは嫌悪感を抱いていた。しかし、途中立 ち寄ったコンビニで店員とトラブルになり、グザヴィエが揉み合いの中で店員を殺してしまうと、彼らは 共犯者として一緒に逃亡を余儀なくされる。道中、エイミーをなぜか過去の浮気相手と勘違いする男な ど、暴力的でサイコな人間達に出会う悪夢のような逃避行を続けるが、エイミーは徐々にグザヴィエに 性的な魅力を感じ始め、ジョーダンを含む彼らの三角関係に変化が起きていく。

シューゲイザーやオルタナティヴロック等の名曲が作品を彩る

■ナイン・インチ・ネイルズ“Heresy” ■スロウダイヴ“Alison”/“Blue Skied an ‘Clear” ■ラヴ・アンド・ロケッツ“This Heaven” ■ジーザス&メリー・チェイン“Penetration”/ “Sometimes Always” ■ピチカート・ファイヴ “Groovy Is My Name” ■コクトー・ツインズ“Summer-Blink” ■エイフェックス・ツイン“On” ■ラッシュ“Undertow (Spooky Remix)” ■ザ・ヴァーヴ “Already There” ...and more!!

監督・脚本・編集 :グレッグ・アラキ
出演:ローズ・マッゴーワン、ジェームズ・デュバル、ジョナサン・シェック
製作:グレッグ・アラキ、ニコル・アルビブ、アンドレア・スパーリング 他
撮影:ジム・フィーリー
プロダクションデザイン : テレーズ・デプレ
衣装デザイン:キャサリン・クーパー・トマン

1995年|アメリカ・フランス|カラー|ビスタ/5.1ch|英語|84分|映倫区分:R-15+|日本語字幕:佐藤 南|原題『The Doom Generation』
©1995 UGC and the teen angst movie company

クィアでカオスでロマンチック
真実の愛を求めて街をさまよう若者たちの青春群像

「世界の終わり」と「真実で永遠の愛」を見つけることに夢中の孤独な18歳の青年ダーク・スミス(ジェームズ・デュバル)は、自分の死の瞬間を記録するためにいつもカメラを抱えている。恋人のメル(レイチェル・トゥルー)は彼のことを深く愛しているが、恋人をひとりに絞ることができず、紫色の髪が特徴的なルシファー(キャスリーン・ロバートソン)とも愛を深めている。一方ダークも、美しい目をもつ青年モンゴメリー(ネイザン・ベクストン)に心を惹かれ始める。カフェが皆のたまり場で、ダークの親友でクィアなバンドマンのカウボーイ(ギレルモ・ディアス)がバンド仲間のバート(ジェレミー・ジョーダン)のことを悩んでいたり、女子3人組がスイーツの早食い競争をしながらガールズトークを繰り広げる。そんな中、ダークの周りに奇妙なことが起こり始める。レーザー銃をもった緑色のエイリアンが現れ、道端の女性を一瞬で消してしまったり、モンゴメリーも忽然と姿を消してしまう。心配しつつもダークは、その日の 皆の最終目的地であるパーティーに参加するが、ダークの心はさらにかき乱される事となる――
色鮮やかな街で、目紛しく過ぎるダークの一日は、一体どんな“終末” を迎えるのか。

シューゲイザーやオルタナティヴロック等の名曲が作品を彩る

■スロウダイヴ “Avalyn II”  ■マッシヴ・アタック “Daydreaming (Blacksmith Remix)” ■ ケミカル・ブラザーズ “Life Is Sweet (Daft Punk Remix)” ■ソニック・ユース “Hendrix Necro” ■ブラー “She's So High” ■モハーヴィ3 “Trying To Reach You” ■ポーティスヘッド “Mourning Air” ■マリリン・マンソン “Kiddie Grinder (Remix)” ■レディオヘッド “How Can You Be Sure?” ■スウェード “Trash” ...and more!!

監督・脚本・編集 :グレッグ・アラキ
出演 : ジェームズ・デュバル、レイチェル・トゥルー、ネイザン・ベクストン、キャスリーン・ロバートソン、キアラ・マストロヤンニ、デビー・マザール 他
製作:グレッグ・アラキ、ニコル・アルビブ 他
撮影:アルトゥーロ・スミス
プロダクションデザイン:パディ・ポテスタ
衣装デザイン:サラ・ジェーン・スロトニック

1997年|アメリカ・フランス|カラー|ビスタ/5.1ch|英語|83分|映倫区分:R-15+|字幕翻訳:長 夏実|原題:『Nowhere』
©1997. all rights reserved. kill.

(順不同/敬称略)

鈴木ジェロニモ(お笑い芸人、歌人、Youtuber、俳優)

映画『ドゥーム・ジェネレーション デジタルリマスター版』を説明する

映画『ノーウェア デジタルリマスター版』を説明する

竹田ダニエル(ライター/ジャーナリスト)

『ドゥーム・ジェネレーション』

セックス、暴力、行き場のない不安。永遠に醒めない悪夢を、いつの時代の若者も生きている。アメリカ社会の絶望を、儚いクィアネスで描き、差別や偏見こそが、最もグロテスクな暴力だと、この作品は叫び続ける。

『ノーウェア』

一秒後も、何が起きるかわからない!脳がトリップするほど、「90年代らしさ」に溺れるカラフルでカオスで、何でもアリな82分。
セックスとドラッグで埋められない、孤独と欲望が爆発した先は…?

菅野優香(クィア・シネマ研究者)

『ドゥーム・ジェネレーション』『ノーウェア』

ニュー・クィア・シネマの美学とテーマを最も過激でセンチメンタルに表現する映画作家グレッグ・アラキ。
だが、その作品に登場する若者たちの無軌道な振る舞いは、当時のアメリカを覆っていたエイズ禍とホモフォビアへの応答にほかならない。
粗野で衝動的なアラキのクィア・ロードムービーは、差別的で抑圧的な社会を駆け抜けていくパンク映画なのだ。

村尾泰郎(映画/音楽評論家)

『ドゥーム・ジェネレーション』

グレッグ・アラキが時代の空気を映像と音楽で切り取ったXジェネレーション黙示録。
この映画を覆い尽くす「痛み」は大人になることの痛みでもある。

『ノーウェア』

ブリットポップ、シューゲイザー、ライオットガール、インダストリアルロックetc...90年代の音が詰め込まれた10代の若者たちの空騒ぎの日々。甘酸っぱくもクレイジーな本作はアメリカ西海岸版『トレインスポッティング』だ。

よしひろまさみち(映画ライター)

『ドゥーム・ジェネレーション』

この当時のグレッグ・アラキは「ゲイ映画しか撮っていない」というイメージが先行していた。そのため本作では、セクシュアリティにこだわりないふりをして、セクシュアル・マイノリティのキャラクターにアプローチした狡猾さが見え隠れする。本作で光るのはローズ・マッゴーワンの芝居。まるで暴走したマシンのようで、ほぼ『ナチュラル・ボーン・キラーズ』。

『ノーウェア』

アラキ自身が「LSDを摂取した『ビバリーヒルズ高校白書』」と称したとおり、LAの青少年のあけすけな性生活について描いたブラックコメディ。あまりにも突拍子もない不条理なオーラス(見てからのお楽しみ)に当時はあっけにとられたが、改めて観るとラリー・クラークの『KIDS/キッズ』(95)にも似ており、90年代後半ポップカルチャーの方向性を知ることができる。

粉川しの(ロッキング・オン元編集長)

『ドゥーム・ジェネレーション』

何十年ぶりに観たにも拘らず、あの時代のザラリとした質感が瞬く間に蘇ってくる。Nine Inch NailsやSlowdiveのドゥームなサントラに痺れる身体に、乾いた血の匂いや湿気った空気がねっとりと纏わりついてくる。90年代オルタナティブのニヒリスティックで刹那的な側面を、これほど生々しく伝える映像作品も滅多にないはず。

『ノーウェア』

「どこでもない場所」や「どこにも居場所がない」という感覚を繰り返し描いてきたグレッグ・アラキが、それ自体をタイトルに冠した本質的な一作でありながら、とびっきりキャンプにスプーキーにトラッシュに仕上げてくるあたりがまた彼らしい。アポカリプスの怪作。

くれい響(映画評論家)

『ドゥーム・ジェネレーション』

ファムファタールなローズ・マッゴーワンに、もれなく釘付けになってしまう“ジェネレーションX版『はなればなれに』”。眩いばかりにポップでキュートなのに、どこかセンチメンタル。これを観ずして、「東のウォン・カーウァイ」に対する「西のグレッグ・アラキ」は語れない!!

『ノーウェア』

日本ではリバイバルどころか、ソフト化すらされなかった90’s を代表するカルトムービー再降臨に感涙!世紀末を背景に、豪華キャストと堕天使とエイリアンが相見える、ヤバいものてんこ盛り状態な“アシッド版「ビバリーヒルズ青春白書」”を再発見すべし!!

長尾悠美(Sister代表)

『ドゥーム・ジェネレーション』

行き当たりばったりのロードムービーは性の解放と奔放さを加速させ、エイミーのアイコニックさを更に際立たせる。
彼女は今一度、フィーチャーすべきミューズである。

イシヅカユウ(モデル/俳優)

『ドゥーム・ジェネレーション』

私も心の中でこっそりずっとそうしてるみたいに、この汚い世界に愛を込めて中指立ててるみたいな映画だ。あらゆる人のあらゆる体液と、愛と、タバコの煙と、暴力と、悪魔の数字に塗れたイカした服を、3人みたいに着こなしてみたいと思った。そしてこの愛すべき「クソ」な世界に、これからはこっそりじゃなく、中指を立ててやりたい。

『ノーウェア』

人生を知りもしないのに人生がどこにもないと思ったことがある。なんでもないことで人生が終わると思ったことがある。その不安をかき消すように仕様のないことに耽り愛を騙る言葉に縋ったことも。それはまるで何もなかったことのようにいつか私達の口から語られる。夏の蝉の鳴き声のように。だけどそれはどこにもないけど確かにその時あったのだ。

井口奈己(映画監督)

『ドゥーム・ジェネレーション』

”自殺した親友とザ・スミスの曲を聴いていた「Unloveable」で号泣”
岡崎京子の漫画を読み、オザケンを聴いてた90年代の気分が蘇る。この感じ、すっかり忘れていた。ボロボロでベロベロなビデオテープにダビングされた『途方に暮れた三人の夜』を当時、友達の家で偶然見た。30年間観たいと思っていた 『ドゥーム・ジェネレーション』。とうとう再発見の時が来たのだ。

『ノーウェア』

90年代、アメリカのインディーロック、パンクシーンに憧れていた。D.I.Yの精神。
グレッグ・アラキ『ノーウェア』を観るとあの時の憧れが蘇ってくる。ヘナチョコでフラフラだけどセンスがある。そしてロマンチック。センスに全振りして良いんだという確信。

ドリアン・ロロブリジーダ(ドラァグクイーン)

『ドゥーム・ジェネレーション』

むせ返るほどに漂うクィアネスの薫りと、執拗に繰り返されるセックスとバイオレンス。言葉遊びのように応酬される下品な言葉たちと、鮮烈でフェティッシュな映像美。
好き嫌いがハッキリ分かれる作品ですが、アタシは…嫌いじゃない。ドリトスを食べたくなったわ。

森直人(映画評論家)

『ドゥーム・ジェネレーション』『ノーウェア』

グレッグ・アラキの再評価が嬉しくてたまらない。『KIDS』や『ナチュラル・ボーン・キラーズ』の時代、マイノリティ達の解放区と、そこに潜む孤独や不安を最もクールに描き出したシネアストがアジア系米国人(日系三世)の彼だった。
真に90‘sな傑作『リビング・エンド』と『トータリー・ファックト・アップ』の再上映もぜひ!

秋田祥(映画上映企画)

『ドゥーム・ジェネレーション』

やっとアラキ作品にスクリーンで会えると思ったら、どこに向かっているのかわからないロードトリップに連れて行かれた。イメージ通りのカリフォルニアを、いや、暴力でできた、アメリカと呼ぶ土地のでこぼこの道をゆく。パンクとカートゥーンのイメージがぶつかって進化して、画面から妙な色気があふれる。逃げているのに進めない悪夢から目覚めるための旅。ほとんど停まってる異性愛ロードムービー!

『ノーウェア』

いつの間にかクィアシネマのレジェンドとして存在を知っていたグレッグ・アラキ。VHSで観た方がその世界に浸れるような気がしていたけど、リマスター版であの蛍光緑と夕焼けをスクリーンで観たら、世紀末のLAの観客と繋がれた気がした。アラキ作品でよく見るあのフラットな壁がここにも。エイズ、ドラッグ、ハルマゲドン。REXが成長したみたいなエイリアンが友達を奪っていく。あまりにも死が身近で、孤独で、ミレニアムなんて祝えなかった若者たちの缶蹴りゲーム。転げる音が微かにまだ響いている。

ジェレミー・ベンケンムン(元違和感)

『ドゥーム・ジェネレーション』

14歳か15歳くらいのときに初めて『ドゥーム・ジェネレーション』を観たとき、頭が爆発するかと思った。
初めて映画の中で、自分の欲望とは別に何も自問しない、流動的なセクシュアリティを見たのだ。アポカリプスなロードトリップの過程で、暴力的な情熱や混沌とした感情、言ってしまえば青春のすべて。
そしてただひとつの欲望: 社会のルールに従わず、強く生きろと。

ユリ・アボ(元違和感)

『ノーウェア』

悪夢のような終末の一日をクィアに描く、グレッグ・アラキの挑発的な一作。
ティーンの焦燥や絶望、セックスと暴力、倒錯した世界観の中で、「特別な人」を探し求める純情さがなんだか愛おしい。リアルでも映画でも味わったことのない青春体験。
目まぐるしく危ういが、こんなトチ狂った青春も、今なら悪くない。

オンラインムビチケ絶賛発売中

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